ピッコロと孫悟飯の絆・・・

初め(はじめ)は、敵対(てきたい)していた、ピッコロと孫悟空(そんごくう)の息子(むすこ)、この二人(ふたり)の絆(きずな)は、コミックの中(なか)で、孫(そん)悟飯(ごはん)を通し(とおし)て、深い(ふかい)絆(きずな)を築き(きずき)あげていきます。それと同時に(どうじに)、ピッコロと悟飯(ごはん)の絆(きずな)も深まっ(ふかまっ)ていきます。じょじょにこの様(このよう)な展開(てんかい)になっていくことも、頭(あたま)にいれて、ドラゴンボール実写(じっしゃ)映画化(えいがか)をぜひとも、見(み)ていただきたいです。ピッコロ大魔王(だいまおう)ではない方(かた)のピッコロは初め(そめ)、世界(せかい)征服(せいふく)の野望(やぼう)を親(おや)から引き継い(ひきつい)でいて、孫悟空(そんごくう)たちと敵対(てきたい)していました。ですが、孫悟空(そんごくう)の兄(あに)である、ラディッツ襲来(しゅうらい)の時(とき)に、初めて(はじめて)手(て)を組む(くむ)のです。これは、ラディッツが、あまりにも強く(つよく)、悟空(ごくう)、ピッコロ、個人(こじん)の手(て)には負えなかっ(おえなかっ)たからです。そして、その戦い(たたかい)で、孫悟空(そんごくう)はラディッツと共に(ともに)、命を落とし(いのちをおとし)ます。ですが、ラディッツは、死ぬ(しぬ)間際(まぎわ)に、1年後(ねんご)に、自分(じぶん)よりももっと強い(つよい)サイヤ人(じん)が、地球(ちきゅう)に来る(くる)と言い残し(いいのこし)ます。そして、ピッコロは、孫悟空(そんごくう)の息子(むすこ)である、孫(そん)悟飯(ごはん)の闘い(たたかい)の師(し)となります。ですが、この時(このとき)、ピッコロは自身(じしん)の残り(のこり)の命(いのち)が、神様(かみさま)の寿命(じゅみょう)か、自分(じぶん)が一年後(ねんご)のサイヤ人(じん)と戦っ(たたかっ)て死ぬ(しぬ)か、どちらかだと、気付い(きづい)ていました。なので、たとえ宿敵(しゅくてき)の孫悟空(そんごくう)の息子(むすこ)であっても、何(なに)かを残し(のこし)たいという気持ち(きもち)があったのです。ピッコロは初め(そめ)、悟飯(ごはん)を魔族(まぞく)にしようと、考え(かんがえ)ていました。ですが、悟飯(ごはん)の純粋(じゅんすい)さに触れ(ふれ)ていくうちに、彼(かれ)の中(なか)で、徐々に(じょじょに)世界(せかい)征服(せいふく)の考え(かんがえ)も薄れ(うすれ)ていったのです。そして、悟飯(ごはん)のことを、自分(じぶん)に対(たい)して、唯一(ゆいいつ)まともに付き合っ(つきあっ)てくれた存在(そんざい)だと、心(こころ)を開く(ひらく)ようになります。そして、悟飯(ごはん)自身(じしん)も、ピッコロの中(なか)にある優しさ(やさしさ)に気づき(きづき)、慕う(したう)ようになります。悟飯(ごはん)は、自ら(みずから)、あまり戦お(たたかお)うとはしない子(ね)です。そして、その気持ち(きもち)を、親(おや)である孫悟空(そんごくう)よりも、より理解(りかい)していたのは、ピッコロでした。そして、セル戦(せん)では、敵わ(かなわ)ないと分かっ(わかっ)ていても、悟飯(ごはん)を助ける(たすける)ために挑も(いども)うとする姿(すがた)などには、強い(つよい)父性愛(ふせいあい)を感じ(かんじ)ました。以前(いぜん)のピッコロでは、考え(かんがえ)られません。悟飯(ごはん)が青年(せいねん)になってからも、ピッコロは、天下一(てんかいち)武道(たけみち)会(かい)で、悟飯(ごはん)の素性(すじょう)がバレないように、観客(かんきゃく)や中継(ちゅうけい)のカメラを壊し(こわし)て、気遣い(きづかい)を見せ(みせ)ています。ピッコロが、悟飯(ごはん)に対(たい)して思う(おもう)気持ち(きもち)と同様(どうよう)に、悟飯(ごはん)の方(ほう)も、ピッコロに対(たい)して同じ(おなじ)気持ち(きもち)を持っ(もっ)ています。大勢(おおぜい)の観客(かんきゃく)の前(まえ)でスーパーサイヤ人(じん)になるように言わ(いわ)れたときに、悟飯(ごはん)は拒否(きょひ)しますが、ピッコロが呼びかける(よびかける)と、変身(へんしん)を決意(けつい)するなど、時(とき)が経っ(たっ)ても、二人(ふたり)の信頼(しんらい)関係(かんけい)は変わっ(かわっ)ていません。アニメやゲームの場面(ばめん)では、ピッコロが悟飯(ごはん)の成長(せいちょう)を、誇り(ほこり)に思う(おもう)場面(ばめん)や台詞(せりふ)が見(み)られます。そして、悟飯(ごはん)もピッコロに対(たい)し、鍛え(きたえ)てくれた事(こと)を感謝(かんしゃ)している場面(ばめん)があります。また、悟飯(ごはん)の父親(ちちおや)である孫悟空(そんごくう)も、悟飯(ごはん)をスーパーサイヤ人(じん)化(か)させるときには、「オラやピッコロが殺さ(ころさ)れそうな所(ところ)を想像(そうぞう)してみろ」と、自分(じぶん)だけではなく、ピッコロの名前(なまえ)をだしています。それに、悟飯(ごはん)がブウ戦(せん)で死ん(しん)だと思わ(とおもわ)れた時(とき)に、悟空(ごくう)は、ピッコロに「あいつが死ん(しん)で1番(ばん)残念(ざんねん)なのは、おめえと会え(あえ)ねえ事(こと)だと思う(とおもう)ぜ」などと答え(こたえ)ています。ピッコロは、何かと(なにかと)悟飯(ごはん)の危機(きき)に駆けつける(かけつける)事(こと)が多い(おおい)です。孫悟空(そんごくう)に代わっ(かわっ)て、孫(そん)悟飯(ごはん)を鍛え上げ(きたえあげ)たピッコロは師父(しふ)同然(どうぜん)の存在(そんざい)であり、悟空(ごくう)もそれを認め(みとめ)ています。作者(さくしゃ)、鳥山(とりやま)明(あきら)も「悟飯(ごはん)にとって、ピッコロという父親(ちちおや)代わり(がわり)の役割(やくわり)を果たし(はたし)てくれる存在(そんざい)がいてくれたのは、本当(ほんとう)に良かっ(よかっ)た」とコメントしています。ドラゴンボール実写(じっしゃ)映画化(えいがか)、待ち遠しく(まちどおしく)なってきましたね。

ドラゴンボール 映画

初めは、敵対していた、ピッコロと孫悟空の息子、この二人の絆は、コミックの中で、孫悟飯を通して、深い絆を築きあげていきます。

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